皆さんこんにちは。

本日のモダクロ裏話は、京都文化博物館別館、辰長 三銀さんについてぐーんと深掘りしていきます!

プロフィール

1906年、三条通に日本銀行京都支店として生まれた三銀さん。それから約60年間、銀行として使用されていました。1988年からは現在に至るまで、京都の歴史と文化をわかりやすく紹介する総合文化施設、京都文化博物館の別館として活躍しています。

タテモノたちの中で一番歳上でしっかりものなのですが、可愛らしい一面も持っているため、他のタテモノたちから愛ゆえにからかわれている姿がシナリオ内でよく見られますね。でもそれは、三銀さんがお兄ちゃん気質で面倒見がいいからこそなのです。

実はこの三銀さんのお兄ちゃん気質は、彼のお父さん(設計者)に関係しています。三銀さんは「日本近代建築の父」辰野金吾による、初期の建築です。三銀さんが生まれた後、全国各地に辰野が手がけた建築が建てられたため、大家族のお兄ちゃんというキャラクター設定がされました。

大阪のタテモノ、辰岡公くん(大阪市中央公会堂)は、三銀さんと同じ、赤レンガに白ストライプの辰野式建築で建てられているので、三銀さんの弟であることがわかりやすいですね。

モダクロの中でご紹介する、辰野金吾が設計に関わった建物たち。全国に数多く存在します。

ちなみにこちらで紹介した三銀さんの弟たちの中で、「旧山口銀行京都支店」と「旧日本生命京都支店」は現在はカフェやホテルなどになっており気軽に立ち寄ることができます。三条通コースでご紹介していますので三銀さんともご近所です。ぜひまち歩きの際は訪れてみてくださいね。

特技

三銀さんの特技は計算です。これはなんとも銀行建築であった彼らしいですね。

計画を立てることも得意なようで、タテモノたちの最年長らしく、とてもしっかり者なのです。三銀さんのしっかり者っぷりは京都のタテモノだけでなく大阪のタテモノにも評判のようで、弟の辰岡公くんにも頼りにされている様子をアプリ内の「中之島・北浜コース」でも見ることができます。

名前の由来

三銀さんの名前に込められた意味をご紹介します。

 設計者辰野金吾から、辰野の「辰」

 設計者の一人であり、辰野金吾の弟子である長野宇平治から、長野の「長」

 三条通に位置することから、三条の「三」

 日本銀行の建物であったことから、銀行の「銀」

名前が決められた当初の案では、文化博物館の「文」を使用した「文銀(あやね)」という名前も候補にあったようです。最終的には、明治から大正にかけて近代的な建物が次々に建てられた、かつての京都のメインストリートである三条通に建つという煌びやかなイメージを強調するため、三条通の「三」が使われることになりました。

最後に

以上、辰長 三銀さんの裏話をご紹介しました。次回もぜひお楽しみに。

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